苦しゅうない、もそっと近う寄れ
めにぅ めーる BBS 日記才人
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あがっががががががががが…婦人科の検査結果、クラス2・ネガティヴ。つまり普通。クラス1のほうが正常により近いのではないですか、と、前々からかかえていた疑問をぶつけると「クラス1、閉経後の女性に多いので、尾瀬羽さんくらいの年齢だと、みんな2ネガティヴですよ」…なるほど、ホルモンの都合だったのか…納得。問題なのは次の検査結果で「これはもう座薬入れないと駄目です。入れます。厭ですか? 駄目です!! はい座る!!」Candida sp. (2+)MRSAといい、お前もダブルプラスか、Candida!!長引いた夏バテと夏風邪で免疫力を体重と共に派手に落として、さらに中耳炎だ切開だで抗生物質を飲んでいたからヤバいとは思っていたが、まさか知らないあいだにここまで来ているなんて、そんなの自分でも解らない(当たり前だ)し、そもそもどうしてこの婦人科の台にはカーテンがないのかしら…>それはポスターで判明。「当院では治療内容を患者様にお解りいただけるよう、カーテンを設置しておりません。何とぞご理解のほ(略) 院長 平成15年(略)」…去年からなのか…丸見えの器具が怖いのは、耳鼻科以来だ。何しろわたしには、父親がガラスコップで手を切った時、縫合の場に居合わせようとして追い出された過去がある。見てても怖くないし平気ですし、と言いかけたが、それ以前に「不潔だから!!」追い出されてしまった。消毒して登場しようとしても駄目だったのは、父親が真っ青になっていたからだ。貧血になるほどの出血というのでもなく、どう観察しても、水で血が多く出たように見えただけだった。そして「血がとまらんねん」と、泣いて倒れて吐きそうな顔色と表情をしていた。鋭利な物で切ったら、血がすぐに止まるわけない。しかも心臓より下だし、それじゃますます血が出てくるわけである。圧迫も足りないから、そんなもん垂れ流しになるに決まってる。なんだよー、ガラスで切ったくらいじゃん。だったら何度もオペしてるわたし、どうなるわけ?そんな事もあったと思い出しつつ、お馴染みの鈍い銀色に光るクスコが鎮座ましましているトレイをじーっと眺めていたらば、手話のできるナースさん登場。このクリニックは、驚いた事に事務員さんも手話ができる。最初の受診で「聴覚障害があります」と手帳を見せたら、それ以来、わたしには手話のできる人が最低1人つくようになった。「どうされました?」(じっと見てるけど)「クスコ見てました」「お仕事で?」(器具の名前を知っているのは)「母が看護婦で」「おかあさんが…」(看護婦さん、なるほど)このやり取りがあったが、マルカッコの中は手話ではない。字幕よろしく略してOK、それが手話の利点。手話ナースさん(仮名)と居ると、ちょっと手話の勉強もできる。本当は毎週火曜日の夕方から手話教室に誘われているのに、やれMRSAだ、やれ婦人科だので行けたためしはない。そして「来週も治っているか検査しますので」と、手話教室はこうやってお流れになってゆく。そして、帰途、ブリーチを見逃して「一護ぉぉぉぉぉ!!」と道端で呻いた。もっとも、手話は教室でなくても、作業所でまったりしている人々が「今からやってみる?」と誘ってくださるので、そこで勉強すればいいし、1人で勉強していても、解らなければ何でも訊いてね、と言ってもらえる。こんな場所が近所にあるというのは、幸せな事だ。ここでは腫れ物に触れるような扱いもイジメもなくて、「あなたはどうしてそういうふうに(聞こえなく)なったの?」「ボランティアで来てる僕は聞こえるけど、君はどうして聞こえなくなったの?」「どんなふうに聞こえる?」という会話が普通に飛ぶ。聞こえなくなった理由を訊くという事は、いけない事でも何でもない。ただ、興味半分面白半分は障害に限らず何事もいけない、という事だ。わたしが一番頼りにしている女性は、ここに来て変わったという。とてもパワフルでユニークで、彼女曰く「大学時代はすごく消極的やってん」というのが信じられないくらい、明るい美人さんだ。「わたしが変わったのは、ここに来てから。ここに来て、仲間に出会ってから」アマチュアやセミプロの脚本家・映画監督もいて、彼らはわたしの夢を笑わない。「小説家になりたいんや。原稿、ここでやれば?」婦人科でピル(再開決定)をいただいて帰宅すると、案の定「お前、医者ばっかり行っておかしいんちゃうか」……その原因を作ったのは誰だ、アンタじゃないか、アンタが努力しなかったから疲れたお母さんは出ていったしわたしも病気になった。アンタのせいでお母さんまで聞こえなくなったんだ、という言葉が、わたしの口から機関銃のように飛び出す。「おかあさんはアンタを捨てたんやろが」…この一言で、わたしは完全にキレた。子の前で元配偶者の悪口を平気で言える父親をもっていた事が、たまらなく情けなかった。叫び返す――「おかあさんは、アンタの悪口なんかわたしの前では一度も言ってない!! そんなんだから誰にも愛されない人間になるんだ!! 自分で墓穴ほっといて、何おかあさんの悪口を言うの!! 自分で男下げてんじゃん!! 悪いけど、わたしが娘じゃなくても、アンタみたいな男絶対に振り向かん!!」――父は母の悪口をわたしに聞かせて育ててきたが、それで「へえ、おとうさん立派だね」と思えた事など一度もない。むしろ「みにくい大人だ」と軽蔑した。「わたしは離婚調停の事も知ってる。親権が有利なほうに行くのは当然な事であって、おかあさんは断じてわたしを捨ててなんかいない!! ばあちゃんも引き取りを考えてるくらいやったのを、アンタが裁判で親権を取ったんじゃないか!! どうせ裁判で嘘こいたんだろ、ステイタス上、DVと虐待してましたなんて事実を言えなくてさ!! 今なら親権どころかテメエはムショだ!! 今からでもムショにぶち込めるんだ、解ってんのか!!」口をきかなくなった父に、1時間はまくしたてていたように思う。父は何だか泣いているようだったが、わたしは泣かなかった。泣くほどの涙は、もう涸れ果ててしまったのだ。ひどい事を言う娘だと思いながらも、謝らなかった。別れた母の悪口をわたしの前で言うのは、決して正しくない事だからだ。絶対に赦せないからだ。わたしは何故、父がそういう『自己正当化の嘘つき』になってしまったのか、周囲から聞いた話でおおよそ解っている。それでも父は、認めたくないだけだ――母親の愛情が欲しい時期に貰えなかった事を。わたしは、自分の生まれる前の父がどうだったか、母方の祖母から聞いていた。今のわたしに、とても似ている――認めたくないだけだ。みじめだと。自分の思い通りにならないと怒りをぶつけて手を上げて、それでも愛情をくれと言う。わたしは、父に母の事を言う時は、もう泣かなくなった。その逆はこれから何度もあるが、いつからか泣かなくなった。母の言い分、父の言い分、わたしはこの2つに引き裂かれそうになりながらも、ただ『わたし』であり続けた。その『わたし』が、自分から傷ついて痛いと泣く幼子であっても、赤子が痛みに耐えてなお歩く事を覚えるように、わたしも痛みに耐えて進む事を選んだ。離れたところから両親を見ると、「もうこんな事を考えて言えるまでになっていたのか」と驚かれる事もある。それだけ、わたしの家庭の距離は開いていた。その距離も、こうやって使えるのだという事も、歩いて覚えた。鍋物にどっさりくずきりを入れて、肉ばかり喰うから腹こわすんだと、父の皿に、これでもか、と入れた。
「耳が痛い」というと「諫言」だの出てくるが、わたしの場合両方(爆)――MRSA、ダブルプラス。明らかに陽性。院内感染の可能性、大。耳が痛いと言っても、今週金曜には切開の予定もあるし、そもそも月曜は医大に主治医が居ないので諦める。この痛み、鼻をかむと出てきたりするので、中耳炎ではなく単に「鼻からいった空気」で痛い時もあるし、治療そのもので痛い時もあるので、とりあえず様子を見てみる。金曜に医大でやった処置で痛みが出ているのかもしれない。鼓膜を切開すると、麻酔をかけるため1回につき10000円以上かかる。これを年に9回以上すると、税務署に控除しにいかねばならない算段だ。チューブの脱落を食い止めようとすれば頻繁な通院が必要になり、とても就職なぞ無理だが、そこはフレックスタイムを利用できる場所を探すか、在宅のものを探す。医大は午前中にしか行けない。それは、別の曜日でも変わらない。総合よりも色んな意味で安らげる場所(設備が良いなど)ではあるが、代わりに時間という代価を払っている。炎症が落ち着けば通院も週に1〜2度で済むが、どうしても週1は絶対に外せないし、ひどくなると週3だの、予約をねじ込んで週4にしたりする。週4なんて殆ど入院ではないか、と叫びたくなる事も山々。また厄介な菌を拾ってしまった……再々、何度「々」をつければ良いのかサッパリ解らないので、とりあえず「再々」としてみる。更に謎な事態は、外耳道の凹凸が消滅していて確認できない、との事。あのデコボコは何だったのか、今となっては解らない。少なくとも、カリエスではない。何かの炎症であった事は確かなのだが、それも切開の時に色々判明するだろう>顕微鏡でじっくり診るんだしこんな痛みがある時に、外に出なくてはならないのは憂鬱だ。耳鼻科なら喜んで行くが、内科と精神科では、どう考えても耳の痛みは楽にはならないし、躾の悪いガキ――おっと失礼――お子様がウルサい時なんて、怒りが爆発してしまう。子供といえども未熟ながら自我はあり、性格というものもある。それは医学書だ、主治医の体験談だ、で頭では理解しているものの、躾 の 悪 さ は ど ー な の よ。と、半眼になってしまう回数は多い。「元気すぎる」「落ち着きがない」というのと「躾がなっていない」のは全くの別物であるのが、従兄弟(哀しい事に「従姉妹」は現時点で存在していない。男ばっかり…)や親友の赤ちゃんを見ていて解った事だ。躾の良し悪しなんて、子が小さいうちはよく解らないものだが、成長して来ると目に見えて明らかになってくる。躾と言われて連想するのは「躾という名を借りた虐待行為」だが、これをする親は子が大人になると、何らかのかたちでしっぺ返しを喰らう>うちがそうです親の考える事なんて、ある程度大人にならないと解らないし、大人になっても自分で親にならねば解らない事はもっとあって、親になっても解らない事も更にある。今でこそ両親の気持ちが少しは理解できるようになってきたが、それでもわたしが赦せない事はある。親も子も万能ではないし、円滑な親子関係を築いている人が、わたしは現在でもひどく羨ましくなる。一家揃って「オール・オア・ナッシング」で「気に入らないとすぐに手が出る」…母とわたしは手が出る事がこの順位で少ないが、一家で一番毒舌なのは、わたしだ。それもそうで、思春期に親や我が身を呪う言葉を吐いていれば、辛辣なセリフなんて厭でも培われてしまう。これは役立つ時もあるが、役立たない時が大半を占めるのではなかろうか――何かのせいにしてあやまちをくり返す輩には役立たない(都合の良い部分しか受け止めないから――ある意味羨ましい)し、ここまで書いて気づいたのだが、それって政治家がそうだよな…はともかくとして、本当は原因を突き止められるのに、病気などを理由に逃げる人間は嫌いだ>本当に病気のせいでできない人に失礼です!!こういう輩は、わたしが聞こえない事で何度卑屈な態度を取って生きてきたか、を思い出させる。かつ進歩しない。聞こえない事がナンボのモンじゃ、これが自分なんだ文句あるか、ある奴は文句を言え応戦してやるさ!! という性格に生まれ変わってからはスッキリしたものだが、全ての人がそうなれるわけではないし、時間がとてもかかる。今年やっとハタチの『聞こえない人』になったが、現実に成人した頃のわたしは絶えず何かに怯えていて、何かがあると謝って(済ませて)しまおうとする人間だった。けれど、それも色々と学ぶにつれて変わってきた。耳の事は誰が悪いのでもないから、母に「ごめんなさい」と言われても「謝らないで」と面と向かって言う事ができたし、「ごめんなさい」を連発せずに「ありがとう」という言葉を出す自分に変わりつつある事にも気づいた。「ごめんなさい」と「ありがとう」は、似ていて全く違う言葉だ。だからこそ使うのに苦労するが、それも人間関係の中で次第に見えてくるものだ。聞こえない事にプレッシャーはあるが、劣等コンプレックス(コンプレックス≠劣等感)はない。昔は頻繁に感じたが、今ではこういう事さえ、自分でなければいけなかった何かがあるのだろう、と、そう思うたびに空を見上げる――雨でも晴れでも、曇りでも。さあ、聞こえない仲間達に会いに行く準備をしよう。MRSAを感染させない対策も主治医から教わった。『絶対に感染させない方法』なんて、ないけれども。変わりたい。この世界で生きていくわたしのために。そして、いつもわたしの側にいてくれる君のために。
新しく通いだした婦人科は、キレイな処だ。そのクオリティを維持するには、広いスペースの提供が難しい。ぱっと見「ここは医者だよ」という雰囲気が全くせず、わたしは「失礼いたしました」と、そのまま回れ右で戻りそうになった。医大がホテル第1弾なら、こちらは第2弾、いや第3弾だろう(第2弾は精神科。ここから婦人科の紹介を受けた)つわりでしんどい人のためか、横になれる別な待合室もある。なんだか、授乳しているお母さん方が談笑しそうな小さな部屋で、女性の体に関する本やビデオの貸し出しなども行なっている。心療内科も兼ねている事もあるだろう。やたらとキレイで植物があって、水やコーヒー、お茶は無料で飲める。飲めるものが限られているわたしは、おとなしく下のローソ●でお茶を買う。急いでいる時は、水出しのお茶かミネラルウォーター、冷えたお茶しか飲めないのだ>猫舌もうこんな季節なものだから、ロー●ンを始めとするコンビニエンスストアには『おでん』なる食物が出回っている。体調のいい時にそれに遭遇すると「おいしそう。ウチで作ろう」とか思えるのだが、この日はわたしは熱っぽく(申し訳ない事に、おでんの匂いで「うっ」と来た)、外は寒くてかつ慌てていたため、タクシーを呼んだ挙げ句に運ちゃんが「…どちらのクリニックですか?」――テナントまで運ちゃんは覚えていられない。そのテナントビルの名前が思い出せないわたしは「はわわわ」となって、とりあえず「幹線をまっすぐ行ってそこを左で次が右」としか言えず、いたく脳を混乱させてしまった。そして、そのビルに無事到着出来たはよいのだが、何階にあるのか解らない!!とりあえず、エスカレーターなんて乗ってみる。目指すは3階。…予備校?>エスカレーターは予備校の処で止まっていた。階段を使え若人よ。などと呟きながら、側にあったエレベーター(地階のエレベーターは奥に位置していて気づかなかった)で上がるはいいが、ここでさらに迷う。くねくねと曲がっている廊下を突き当たりだの曲り角の都度、案内図を確認して、やっと婦人科へたどり着く。たどり着いた婦人科は、迷ってまで出てきて価値のある場所だった。少なくとも女医さんである事、2人目がお腹にいるっぽいお母さんの態度がとても優しいもので、「母親ってこうあるべきだなぁ」と思いながら、上の女の子が可愛らしく思えたりしたからだ。月経前のホルモンバランスや自律神経の崩れでしんどい体が、少し楽になったように感じられた。少し待つ間に、問診票に書く。何ヶ月ぶりに書いたか解らない問診票は、わたしをやや戸惑わせた――あー、何かこんな事も書くのか…。こんな事からあんな事まで細微にわたって書くのか…空欄でいいかな、と思っていたらば、診察前にナースさんに呼ばれ、回答した事について訊ねられる。やはり空欄を作らなくて正解だった、と、わたしにはその問診票が一瞬、履歴書に見えた。婦人科の問診票は、女性の履歴書であるかもしれない。診察で、やはりこれはピルを飲むしかないと言われる。どこの婦人科でも結局これを言われてしまうので、北里大学でも行かない限り(行ってもどうだか)、ピルを避けるのは無理だろう。漢方も効きが悪い方で、プロに鍼灸を施してもらっても、楽になるのは数日だけだ。初めて「痛み」というものを味わった当時は痛みしかなくて、それをやり過ごせば後はどうとでもなったが、二十代も半ばにさしかかると、苛々、頭痛、倦怠感、微熱、吐き気、胃痛、憂鬱などに悩まされるようになってきた。胃痛は必ず毎月出るものではないが、それを引いても寝込む日まであり、どの検査もクリアだという事は、体質もしくはストレスの発散がうまくいっていないかしかない。今月は色々あったので、頻繁にレルパックス(偏頭痛用の鎮痛剤。アレルギー体質なので頭痛薬)を飲んでいる。これじゃ駄目だ。何がなくても、レルパックスを飲むようになってきてしまっている。それは、ストレスの発散がうまく出来ていないという事でもあるし、体がストレスに対して弱くなっているという事でもある。今年は夏バテと夏風邪が一気にやってくるという災難をこうむった事もあるが、何よりわたしは「疲れてる」らしい。ピルを飲めば確かに月の殆どは楽になるが、うつが怖い。フラフラと自殺現場に吸い寄せられるように近づいてしまった事があるが、謎の猛烈な寒気が襲いかかってきて遠ざかったり、フラフラと刃物を見てエヘヘと笑って我に返ったり、果てには薬を2度分飲みかけてしまったり。もっともそういった事は、ピルを切ってから出てきた事なので、ピルのせいではない。ただ、飲むとまた自分の首を自分で締めたりするのではないかという恐怖に駆られる。「あなたは中用量のピルを飲んでいたけど、低用量より副作用が出やすいピルですよ」何故それでも飲んでいたかというと、医療用で保険が利いたからだ。低なら副作用も少ないと言われるが、それでは保険は利かないのではないか。妊娠するまで飲み続けないとならないような物なら、それは困る。しかし値段を比較してみると、殆ど変わらない事が解った。処方せんにむしろお金をかけていたのだ。その場での検査は、数ヶ月ぶりにもかかわらずクリアで、女医さんも「こういった症状の人には、ピルを飲んでもらうしかない」と首をかしげる。漢方もゆるゆるとだが効いているようで、その「ゆるゆる効く」のでは痛みも治まらないからここへ来たのだという事は、話さなくても解る。漢方とピルの併用を考えて、帰途についた水曜日の昼下がり。
「お守りってどうやって言えば開けないかな」…一瞬「?」と思うメールが届いた。お守りを開ける? 開けないようにさせる?なるほど、この親友は海外の親友にお守りを送ろうとしていたのだった。確かに、日本のお守りにあまり縁がない人だと、「?」と思って開封してしまうだろう。簡単に言えば「日本のお守りはキレイな布で包んでありますが、これはそういう物なので開けないで持ち歩いてください」…なのだが、中に何が書いてあるか、知りたい人もいるだろう(中身は調べないと理解できない和紙。実は売っている人も知らない/北野天満宮での実話)し、ヤタガラスやなまはげ、さるぼぼを送られて、そのいわれを知らなかったら「呪詛だ!!」と大騒ぎになるだろう。呪いと書いてまじないと読むので、一般に呪いと言われるものは「呪詛」と書く癖がついてしまっている。ここでまた、カルチャーショック。そういえば海外だと開けそうだな、とか。色にも意味があるんだよ、と付け加えてしまい、お守りの色と紋様の意味について説明する事に。いやー、古典やっててよかったわー!!>受験にだけ役立つわけではないのね。ちなみに、解説には荻原規子著《白鳥異伝》・酒見賢一著《後宮小説》あたりが役立ちました…嗚呼、読みたくなって自爆。この本はマジ面白いです!!逆に日本では、ロザリオだの中国のお守りだのをつけても、包まれていないので開けるなとか何か言われる事が少ない。中国のお守りはキレイな細工が多くて、そのままアクセサリーにできる物が多い(キョンシーのお札は別としても)。そもそも、色や石の力を借りているお守りは美麗なため、見たら《男はつらいよ》の寅さんのように首から下げたくなっちゃうかもしれない。寅さんはどうしていつも首にお守りを下げているのか、と疑問に思った事があるが(あんな長いひもがついているお守りって見た事ない)、その問いに答えられた人は、現在わたしの周囲には居ない…どなたかご存じないですか?首からロザリオをぶら下げるという行為は、日本で置き換えると「数珠を首から下げている」になる――冲方丁原作・伊藤真美作画《ピルグリム・イェーガー》の4巻に詳しい解説がある。また、教派によっては偶像崇拝を禁じているところもあり、ロザリオに十字架(しかも受難のキリストつき)がぶら下がっていると、険しい顔をされる。ゴスロリな方々はそんな事にも構わず「いーじゃないのー、好きなんだもーん」と、首からぶら下げて、ロッキンホースバレリーナ(値段を知って吹っ飛んだ)で田んぼだろうと街中だろうと闊歩する。純粋な信者さん達が見たら目を疑うだろうが、それが彼(彼女)らの道だから、そういう事もありだろう。ちなみに、わたしは石もクロスもクラウンもハートも星も羽も好きです。…関係ないか。こんな事をのんべんだらりと書く手許には「快気祝です。お好きなものをお選びくださいませ」というカタログがあるのだが、プーさんのバスマットがいいのか、クラウンモチーフのペンダントがいいのか、キティちゃんのベル音アラームがいいのか、はたまたスライサーがいいのか、悩む。アラームは聞こえるだけの音が店頭でないと解らないので却下しても、キティちゃんの品は他にもある。そんなに好きなら、サンリオピューロランドでも行けばいいじゃないか。ガラじゃないよね。と言われ、友達をチャットで1発殴ってみたりする。そして、わたしは永遠に快気祝なんて送れないだろう、とか思うと、さらに悩む。お見舞いをいただいても、また悪くなるので返せないのだ。しょうがないので、お見舞いをいただいたらお見舞いで返す。プーさんにキティちゃん。ピーターラビット。「迷え、さあ、迷いに迷え!!」とカタログが話しかけてくるようだ(笑)。スライサーは錆びが敵だが、使っていればくたびれてきて、どうしようもなくなる(バスマットと同じく消耗品)が、大切に使えばもつし、しばらくはキャベツの千切りで大喜びが止まらない。まな板の上でにんじんを切りながら「なんでこのにんじん、こんなに固いんだろう」と、夏風邪と夏バテで腕力を奪われた事を忘却の彼方に追いやってしまっていた(笑)。しばらく料理を続けて――と書いてサボっていた事を自分からバラしてしまい――フライパンでも持っていれば、支障ない程度に回復するのが腕力だが、困った事に千切りは「馴れて上手になるしかない」ので、しくしく言いながらやっぱりまな板で格闘する。何度やればうまくなるんだ、という基準はないので、ひたすらまな板に向かって野菜と戦う。昨日まで、「にんじんのグラッセ」はフライパンで作ると思っていたバカ、それがわたし。中華鍋を片手で扱えるようになればいいのだろうか、と少し考えるものの、猫がいたりするとそれ以上に重たいものを持つ事しょっちゅう、なので「応じて」なんだろう>大型のわんこだと、成人より重たいお箸より重たいものを持った事がございませんの、と微笑みながら言ってみたい。もっとも、そんなんじゃ生きていくのに困るだろうが、一度は言ってみたい台詞。ロザリオ云々言いながら、特定の宗教を持っていなかった事に今さら気づいたり。
世の中には、咄嗟に「愚か者!!」と叫びたくなる人間が存在する。イラクで、また邦人が人質に取られた。福岡県の男性である。ジャーナリストや学者、ボランティアならまだ理解の範疇だが、ワーキングホリデー男性はニュージーランドからパソコン注文をつけたのち、バグダッドへ入りたいと車の予約までしている。サマワの自衛隊を見たかったようだ。各メディアで既に名前と年齢が明らかになっているが、呼び捨てにしてしまいたいほどの怒りに駆られているので、ただ“男性”とのみ書きたい。また、日本におられるご家族の心中は、男性への怒りが先立つが察して余りあるほどだ。男性、イラクへ行くとはこれっぽっちも生んでくれた親にすら漏らしてなかった。親御さんを何だと思っているのだろう。「また日本へ戻りたいです」…わたしなら、戻れるなら骨でも髪の毛でも構わない。戻れなくても、構わない。反対されれば縁を切る(喜んで切ってもらえる危険もデカいが)。それだけ覚悟をして行けという事だ。わたしの命なぞで済むのならば自衛隊は撤退させないし、しないでほしい。日本では台風や地震が相次ぎ、本当ならば自衛隊なんて呼び戻してしまいたい。だが、一度派遣した自衛隊をこちらの都合で(たとえ大変でも)呼び戻すなんて出来ないし、イラクの人々も大変だ。そもそも呼び戻すぐらいなら、日本の自衛隊は数は足りてても考えが足りない政治家の編成した仲良しグループにしか過ぎなかった事になる。イラクに人質なんて取られた事は今までございませぬ、イラクは安全とは言えませんが治安が回復しておりまする、というのなら解る。今年は言うまでもなく、1997年にはエジプトはルクソールで武装グループがテロ行為に走っており、その犠牲者は述べ58名という大惨事を引き起こしたが、この直後やはり「エジプト渡航の見合わせ」が勧告されている。とはいえ、エジプト考古学で有名な吉村作治教授は「テロが怖くて学問が出来るか!!」…と、考えておられたかもしれない。「エジプトになら骨を埋めても悔いはない、周囲の説得もした」というほどの情熱があるのなら、またそのような生きざまもありだろう。また、エジプトはスエズ運河の悲劇にもあるように、日本にはない病気が存在する。こんな事を書くと電波な人だと思われる(もう思われてるから心配不要だ尾瀬羽さん)だろうが、エジプトで墓所をあばくと呪詛で殺されるという噂は、まことしやかに今も流れている。内容にもよるが、確かに危険を覚悟しなくてはならない学問も存在する。日本における考古学だって安全とは言いがたいし、医学はそれなり危険を覚悟せねばならず、まさにバイオハザード。待合で本を読んでいる隣の人がMRSAを持ってるかもしれないし(少なくともここに保菌者がいると医大の中心で叫びそうになって、患者に色んな意味で逃げられ、主治医に色んな意味で取り押さえられそうで中止)、謎の病気で亡くなった方を解剖させていただくと、予想だにしない事があったりする。『予想だにしない事態』に、人間は冷静に対処出来ない事がある>冷静な人もいるけど新潟県中越地震に顕著なものとして、それが出ている。「なんだ、震災より軽いじゃないか」と言った人間を、我が父含めて無免許運転で蹴散らしながら物資運んでくれようか!! という怒りに駆られるもたびたび、人の命に重いも軽いもあるか!! と怒鳴りつけて大人しくするだけで、今の処は(こちらは)済んでいるが、それだけでは済まないのが被災地である。地震によって打撃を受けた人々はたくさんいる(災害の傷が癒えていない人、親戚や友人が被災した人等)し、避難民は10万人にのぼる。果たしてこれは「軽い」のだろうか? 確かに阪神・淡路大震災より死者が少なかったが、それはひとえに「もっけの幸い」というものだ。本震が来たのが、夕食の支度にとりかかったり、部活動に所属している生徒の下校が始まる時間帯で、わたしは火災・離散の発生をかなり心配したが、これも僥倖というべきであって長田区のように燃えたりはしなかったし、新幹線は脱線したが転落まではしなかった。しかし、何かがひとつでもズレていたら死者は震災の時のようにふくれあがっただろうし、今後の余震で被害が拡大するおそれは十二分にある。現在も被災地で充分に情報が行き渡っておらず、親戚や友人に携帯端末等で被害状況を『逆輸入』している人も少なくはない。停電は早ければ一晩で回復するが、ずっと消えている処はそのままの状態が続くし、ガスや水道に至っては何ヶ月も止まる事まである。家を直せばその家にガスや水が通るのは修繕後となり、さらなる不便と困難がこの先待ち受けている。残念ながら、神戸からの叫びは届かなかった。届いていなかったのだ。わたしは震災の事は余り書きたくなかった。なぜならそれはとても痛く、苦しかったからだ――「どうしてお前は生きてるんだ」という怨嗟の手が地面からのびてきて、わたしの脚にからみついて離れなかったからだ。それからもやっと抜けられた矢先に、地震。サイトに地震の心得を書けなかったのは、わたしの弱さだ。被災者であるのなら、そして、障害ゆえに人災のあおりをも喰らった事があるのなら、その事は書いておかなくてはならなかった。その責は、このサイトを立ち上げたわたしにある。震災の経験談は幾らでもあっても、そこから何を読み取るかは、読んで下さる方々に甘えていた――悔いて始まるものではないので、コンテンツに新しく《震災》を追加する事を決めた(正式名称未定)どけだけ、それこそ死ぬほど悔いても、亡くなった人々は帰ってはこない。だからこそ、この状況を生き延びてもらいたい。命をつないでほしい。震災関連サイトはわたし以外のものもあるし、書籍も多数出版されている。せめて、そこからは神戸の何かを学び取っておいてほしかった。そんなさなかにもバカタレ、もといアホ、いやウツケ…どれを選んでも結局、最初に出た一言が「バカかお前は」であっても、バカは死なねば治らないと昔からいうので、それでは不覚にも憐憫の情を寄せてしまいそうで「愚か者」と書く。信じられない事に、空自が報道関係者を救助したというのだ。これが現地の報道の方々で「仕事中に地震が来て逃げられなかった」「局に取り残された」というのなら、まだ理解もいく。理解不能なのは、そのオツム(被災地で需要のたいへん高いオムツではない)のお粗末さだ。何でも土砂災害によって道路が寸断されている長岡市蓬平(よもぎひら)地区で、ヘリを用いて取り残された方々を救出していると、報道愚か者が「乗せてくれ」と言い、こんな愚か者は放置して帰りたいが自衛隊、腐っても鯛で自衛隊、そんな非道な事が出来るはずもなく、この愚か者どもを連れ帰ったという話だ。県災害対策本部はこれに対し「自ら入り込み、帰りは救助ヘリというのであれば、救助活動の著しい妨げとなる」と報道各社に抗議した。こんな愚か者のせいで、6人分のスペースがパアになる。6人の人間を乗せるスペースがあるなら、軽い物資は山ほど積み込めるのだ!! この愚か者どもがどのような処分を喰らうかは上の考える事だが、「当分こなくてよろしい。給料も引いておく」くらい言ってやってほしい。または「戻ってこなくていいから、現地で被災者の方々を助けろ。過労で何かあってもあれほど行きたい現場へ行ったのだからそんな事知るか」と、取材を命じた愚か者共々ボランティアとしてぶち込んでほしい。愚か者ボランティア…ボランティア・被災者の方々に全く失礼な話である。今気づいたのだが、対策本部に「地震の時覚えておくと役立つかもな知識」メールを、昨晩入れていた。この愚か者達をボコボコにする時間が欲しい。メールも「1行メール/空メール」じゃなかったのだ。募金もよいですが、物資にかわるまで時間がかかり、なおかつそのお金は被災者の方々に「その時その時に必要なもの」を提供出来るという可能性も全ては保証いたしかねますし、無事が確認出来た人からは「お金より物資がない」という言葉もありましたので、あえてこちらを掲載させていただきます。http://210.164.27.43/content/jishin/suitou/bussi.html(メール受付は現在停止。シャンプーとありますが、断水が続いている地区も多いので出来ればドライシャンプーを。ティッシュもウエットティッシュがあれば、なおよいかと思われます)
新潟安否確認、最後の1名が判明しました。無事です!! 涙がだーっと出てきました。この日記を読んでくれてる友達のあゆちゃんは従姉妹さんと連絡が取れないとの事で、心配です。マスコミなんて自分達のいいようにしか動かない。9年前の震災からそれはそうで、今、新潟県中越地震関連の番組は、「弟が死んだ」という15歳の女の子にカメラを向けている。神経どうかしてる…震災の時とそれは何も変わっていなくて、長田区で家族の骨を拾っている人も撮影していた。神戸の長田区は震災で最も火災による被害が大きかった処で、誰の骨なのかも判明しないほどひどかった。そんなに涙が欲しいというのなら、わたしが体験談をいくらでも書いて差し上げたい。行政のバカさにマジ泣けますよ? 市役所から避難民の人々が追い出されてホームレス同然に追いやられたシーンや、最初に届いたのがカンオケだったというエピソードをカットしなけりゃ、すごいものが書けますが? どうです、マスコミ様?>興味を持たれた方はご一報を。本気で書きますよ?最後にぐさりと「マスコミは報道するけど物資なんてくれない」と締めくくりたいが(鬼)「こっちも仕事だ、赦してくれ」という人もいるだろう。カメラマンやリポーターだって、平気でご遺体に向かっていた奴らばかりではあるまい――とわたしが書くと思ってたら大間違いだ――その後、あまりのむごたらしい報道のやり方に精神を病んでしまった人もいるだろう。だが同情はしないし、出来ない。精神を病んでしまうような報道のシステムをほったらかしにしていたツケが回って来た、という事だ。お鉢が回れば、当然ツケも回るのだ。それが世の中というものであるというのは、政治家達を見ていると浮き彫りのごとく解るはずだ。年金のツケ、税金のツケ、天下りのツケ。自分で生きていても、やはりそれは体感出来る>ツケなんてためない方がいいね…と、しみじみ実感してしまった。書いていて(自爆してどーするよ、尾瀬羽さん)今回の地震では、募金が既に始まっている。ただし、詐欺の不埒な方々も(あろう事か東北地方で。恥を知れ愚か者!!)いらっしゃるので、募金はちゃんとした処に送るのが賢明だ。役所に行くのが一番手っ取り早いかもしれないが、お役人がその募金を何に使うか、ちゃんと使ってくれるのかまでは、残念ながら解らない。まかり間違っても、上のお役人の退職金だとか、関係ない赤字の補填に使わないでいただきたい。やはり、これは赤穂浪士よろしく血判状でも書かせるのが武士らしくてよいのだろうか? と、少し真面目に考える。きちんとした募金活動というと人々は安心してお金を振り込むだろうが、実はこの募金は肝心な処が抜けている。まず、集まったゼニ…ごふっ…もとい、お金は義援金(震災時は申請のあった各家庭に配られた。我が家もいただきました。有り難うございます)に用いられる事もあるし、医療行為または物資に使われたり、仮設住宅、何より毛布や飲食物等に真っ先に回される。しかし、落とし穴はあるもので、赤ちゃんのミルクやオムツ、女性は生理用品まで、これらの物資が絶対的に足りなくなっているのに無い。これは、わたしが女性でなければ解らない事だったので、少し自分の性に感謝してみたり、する。月経の血の汚れは洗濯しても落ちない事があるし、何より水がないという事は洗濯も出来ない。血のついたままの下着でいろ、と、年頃の女性に言えるだろうか? 年頃でなくても言えない。これはお腹を壊した男性に「糞便のついた下着でも文句いうな」と怒鳴るようなものである。よって、わたしは救援物資のひとつに「下着、女性用は多めに」と入れるようにしている。生理用品にも同じ事がいえるし、それは赤ちゃんや介護が必要な方々のオムツにも適用される。汚れたままのオムツを赤ちゃんにさせるバカが何処にいるのだろうか? それじゃネグレクトだ。布オムツで頑張っているお母さん方には頭が上がらないが、洗濯出来ないので、ここは紙で頑張っていただくしかない。その紙オムツさえなかったのが、阪神・淡路大震災における避難所生活の実際だ。おまけに平等に配られるというものではなく、早い者勝ち。これでは略奪行為と同じではないか。結局、あおりを喰らうのはいつも弱者だ。物資が届いたという事を(放送で)知らされても、わたしは聞こえないのだからそんな事は知らない。教えられて取りに行けば何もない。いい加減にしろ!! と、わたしは放送室のマイクをふんだくって叫びたくなった。障 害 者 だ っ て 成 熟 す る し、生 理 も あ る ん だ バ カ ど も が !!実は、先日の日記に書いたように、障害者は性そのものまでタブーにされている。介護の面倒になるからといって、無断で卵巣や子宮を取り去られた人々もいる。病気でどうしても取らねばならないというのなら別だが、「生理が来るから介護めんどくさい」という理由で女性器を奪われた人々は数えきれないし、「あんたに恋愛されて子供が出来ちゃ怖いわ」と、生殖機能を奪われた知的障害者も存在する(文献や主治医の証言による)。現在は『母体保護法』という名に変わった『優生保護法』だが、この考えはナチスドイツ・ファシズム連中の賜物だったりする。歯医者の友達が話してくれたうがい薬の話もそうで、ポピドンヨード(つまりイソジン。普通に売ってある)のポピドンは代替血液としてナチスが開発した。これにアルコールを入れたのがヨードチンキ、つまり「赤チン」と呼ばれるものだが、これは今の日本にも現存する。ただ、製造過程で水銀が発生するため、国内での生産はない>その割にはよく塗られるが、何か赤色がゴシックロリータのように毒々しい…素敵(?)チンキつながりで、阿片チンキは月経痛の女性が普通に飲んでいた。副作用や中毒性について論議されるようになっても、「効くんだもん」という理由で、あわや中毒という状態になるまで用いられていた。中毒や分量間違いで死んでいった人の数はあまたに上る。船戸明里著《Under the Rose》にも、そのシーンがある。しっかりしたペンタッチと伏線のある物語、読みごたえのある作家さんで、船戸氏のサイトへはリンクから飛べます>宣伝じゃないよ災害が発生した時に、人災をもくらうのはいつも弱者だ。そんなのは、もうたくさんなのだ。そこの部分を、政治家は考えてはいない。災害については考え論じても、弱者はカヤの外という事だ。
安否確認出来ました。あと1名です。彼女には家族がいるので、きっと無事でしょう。いえ、無事でいて欲しいとわたしが願っているのかもしれません。それでも、わたしは願って祈り続けるのです――無事でいてくれと。無宗教でも、何かに向かって祈る時、自分がいかに矮小で非力な存在かを思い知らされます。もとより、人とはそのような存在なのでしょう。けれど、ちっぽけであるからこそ、力強い存在でもあるのです。もう昨日は地震の発生を知った時から、新潟に嫁いでいった親戚のおねえさん(大叔母の娘さん。という事は叔母さん? でも、わたしの中ではずっと「おねえさん」)や、おねえさんの家族のみんな(大叔父の葬儀で会ったきりだけど、可愛い赤ちゃんがいた)、知り合った人々の安否が確認出来なくて、それだけでも泣きそうなのに、テレビに映し出される惨状だけで泣きたくなった。あの日々を思い出してしまったから。「我慢するなよ、泣いていいんだよ」と親友は言ってくれた。彼もまた、震災の経験者である。この日はメッセンジャーを通して、色々な情報を貰った。有り難う。金曜日に泣いてしまったように、わたしの震災の傷はまだ癒えていない。寒い日だった。一生忘れられないだろう。この傷が癒えるのは、いつになるか解らない。当時、専門科達は「10年は心のケアを必要とする」と言った。来年はその10年目にあたる。その10年目が過ぎれば、わたしは薬がなくても生きていけるのか? ――この問いに関しては、誰も答えなど出せない。わたしだけが出せる答えだ。この災害においてわたしが最も嫌悪しているのは、報道だ。物資を運ぶでもなく、ただただ映像を垂れ流す。阪神・淡路大震災の時もそうで、マスコミはヘリで飛んでばかりだ。報道するぐらいなら毛布や飲み物や食べ物を運んで欲しいと切実に思った18の冬の気持ちが、よみがえる。《わかば》だって、本当は観ているだけで涙が止まらない時がある。「このクスノキ…」といったセリフのある回があったが、クスノキはわたしが住む市のシンボルで、公立の学校の校庭には必ず植えられている。市庁舎の横を彼氏と歩きながら「あのでっかい木、何?」「クスノキだよ。トトロの木だけど、トトロは出てこないのよ」「そりゃ出てこないでしょ」「でも、クスノキっていうんだから出てきてくれてもいいじゃない」とやり取りした日が、少し遠く思えた――就職の事情で、今年の春からずっと会っていない。会いたい気持ちは日々募る、それでも、こうやって毎日のようにネットで会話出来る事を幸せだと思う。2度と会えない哀しみを思えば、遠距離でも恋愛出来る事は幸せだ。障害者の殆どは、恋愛を諦める。何故かというと「相手に負担をかけるのが厭だから」だ。生きていれば誰だって病気をするし、事故にだって遭遇するだろう。今回のように、どうしようもない天災の被害に遭う事だってある。全ては運命だとか、神の采配だとかいうのかもしれないが、彼氏はわたしを障害者としては見ていない。「聴こえにくいけど1人の女性、俺の恋人。何かヲタク」…最後のは余計。わたしは、もしも彼氏が障害者になってしまったらどうするか、考えた事はない。聞こえなくなったならばと考えた事はあるが、障害は聴覚だけとは限らない。視覚、肢体、精神…様々な障害がある。わたしはきっと、聴覚以外の障害を彼氏が得てしまったら、戸惑うだろう。車椅子を押すスピードも点字もわたしには解らないし、障害ゆえのジレンマも、聴覚と精神でしか経験した事がない。ただ、どのような障害であれ、焦燥や苦悩をかかえる事だけは知っているし、わたしの母やわたしのように、もう誰にも独りぼっちで悩みをかかえて欲しくはないというのが本音だ。相談する場所は、なかなか見つからないだろう。しかし、この「相談する場所がない」事で、わたしと母は精神を病んだ。母は娘の障害について責め立てられ、わたしは健常者に負けるなと殴られて育った。母もわたしの事で殴られた事があるし、父はわたしの障害について何も知ろうとはしなかった。不器用だといえばそれまでだが、精神科にかかるまで、誰にも打ち明けられなかった。ここまで来るのに何度、母と暮らしたいと思いつめたか数えきれない。だから、妹を憎んだ。わたしのためには邪魔だった。聞こえるくせにお母さんを取るなと、不意に階段から突き落としたくなった衝動に駆られた事すらある。それでも、傷つけられる痛みを一番知っているのは、自分だった。わたしが母を奪われたというのなら、またこの子からわたしが母を奪う権利もない。そして何より、母親が居なくなってしまう事は、とても哀しい事だ。わたしは、彼氏がどのようにして自分の母を失ったか淡々と話した時、何も言えなかった。自分の耳と医学へのこころざしを捨てなかった意地に感謝したのは、この時だけだ。わたしはこの先も「お前のせいでお母さんが死んだ」と彼氏が責められるような事があるなら、顔を上げて反論する。賢くないやり方だろうが、そんな事を言われつづけて生きていく事は――わたしが母だったら赦せない。こういった事があってから“もうひとりのわたし”を作っても平気だと、わたしは思えなかった。その気持ちは、妹を邪魔だと思う気持ちに勝った。もう、不幸せや哀しい事は自分で終わりにしてしまいたかった。それなら、自分から幸せを求めていかなくてはならない。幸せも自分の居場所も、待っているだけではやって来ない。むしろ今では、わたしが掴みそこねた物をその手で妹に掴んでほしいとさえ思う。遅すぎるという事はないが、適した時期に掴むべき物を掴む事が出来たなら、今後生きていく自分を、もっと豊かなものに出来るであろうから。夏に体調を崩して以来、会っていない。元気だろうか。会いたいが、この体調では難しい。難しいと思うから、うまくいかないのかもしれない。母に耳の話をすると、まだ少しつらそうなので、余りしたくない。手術の事を正直に言えなかった(実は母に知らせたのは、母の妹。メールが来たのでバレてしまった)のも、その事があるからだった。でも、黙っている事は、母を親として信用も信頼もしていないと言っているようなものかもしれない…子をもつ人は、この文章を読んでどう思われるだろうか。姉が妹を憎むなんて想像もしたくないだろうし、ましてや我が子が障害児になるなんて考えたくもないだろう。それでも、わたしは問いかけたい。「もし、あなたが母ならどうしますか」とても残酷な事だと承知している。けれど、わたしは母にどう接すればいいか解らない。母もわたしにどう接していいのか解らず、ぎこちない雰囲気になる事もある。それは時間が解決していく事だけど…きっかけが、欲しい。整形したのよー、なんてのは言う必要はないが(笑/してません)↑未成年だったら言わないといけないかも。承諾も必要だしね。整形は「土台がいいからやらない」のではなく、「やりたいけど周囲の反対がラッシュでくじける」が正しい。ちょっと耳のついでに鼻を高くして!! と言ってみたら「日本人なんて鼻が低いの!!」…と返された、去年の夏。「そもそも鼻だけじゃなくて、君の顔だと全体的にやらないと」こんな彼氏をぶん殴りたいと思いながらも、愛おしく感じています。
新潟に居る友達の安否確認が出来ません。もしこの文面を読んでいたら、メールか掲示板でお返事下さい。>ぴゅあ>蒼呼さん
カリエス記のタグはコピーペーストしている部分があるものの、殆どノートを参照しつつ手打ち。その上色んなサイトを見回(登録日記、更新しているサイト様は全部読んでます。「読みました」メールあったほうがいいのかな…わたしは嬉しいですが他の人もそうとは限らないので、投票のみさせて頂いてます。たまにトラックバックに出現しますが)って、昼夜逆転生活も少しとはいえどあり、頭痛のしぶとい体に鞭打って医大へ……どうなったかというと、ダウンしました(脆弱やまとなでしこ/どの辺が?)耳だれ(耳漏)が処置でも止まらないので、これはもう切開を覚悟せねばならないと腹をくくって医大に挑む。建物は白くないので、何かグレーの巨塔だとか考えながら、電車の窓から兵庫医大を眺める。こちらは白亜の巨塔だが、主治医が戻らない限り世話になる事はない(けど、診察はしてなくても授業はある)眠剤の切り替えが難しく、少し減らしただけなのに夢を見ながら半日眠ってしまう事もあるので、枕元に置いていたリタリンを半年ぶりに服用して、朝から入浴や準備をぱぱっと仕上げる。薬の切り替えが上手に出来ず、なおかつ出かけねばならない用事がある時のみに飲むが、飲んでから「…コレ必要なかったんじゃないか」と思うものの、飲んでしまったものはどうしようもない。外耳道に(わたしのこの部分は手術でえぐられてしまっているので、普通の人よりも凸凹が少ない)謎の皮膚陥没がみられる。陥没部分が1ケ所から2ケ所に増えているという事、耳だれが止まらないという事を踏まえて、主治医がポツン呟く。「カリエスかな…」世界から、色が消えた。感覚も消えた。え? カリエス記書き始めてカリエス? また入院? しかも医大の個室? またオペ? 麻酔? 耐えられない。夏バテでわたしの体力は削がれている。3時間のオペに耐えられるのか? 点滴にずっとつながれていられれば大丈夫だろうが、また1ヶ月も入院? 冗談じゃない。MRSAは何処? MRSAならまだ可愛いと今は思える。もしもV…だったら?しかし、陥没部分が耳だれを分泌するには、ものすごい勢いで粘液が出ているという事になる。入浴ついでに耳も少し掃除したが、昨晩ほど汚れてはいなかったし、朝はマシだが晩になると出てくるとも告げる。カリエスなら、もっと以前のように朝から晩までずっと粘液が出てくるだろうし血も出てくる。放っておいて治るものでもない。すぐに入院して検査をたくさんして、耳も切らなくてはならないのか…と、低血圧なわたしは、やはり血液よりも不安と恐怖がぐるぐると頭を回っている。そのうち酸素まで途切れたらどうしよう。「でも、これまでの経過からしてカリエスとは考えにくい」先にそれ言ってくれ先生。「…訂正。鼓膜の下の方から浸出液が認められた。病巣はそこで、陥没部分ではない」この医大が自宅の近くなら、わたしは安堵してそのまま倒れてしまいたかった。ここで生きるのに必要なものが手許に揃っていたなら、そのまま倒れてしばらく眠りたかった。昏倒してしまいたかった。くたくたとくずおれる体は、やたら頑丈な歯医者の椅子によく似た耳鼻科の椅子が支えた。「どうしてか鼓膜の前に皮膚が盛り上がってて、見えにくかったのね」これもやはり説明がつかない。異常なものではないようで、ただ、ありえない部分が陥没してありえない部分が隆起している――地形が造られていくように。やたら「ありえない」を連発していたらしく「耳の中がまっすぐな人はいないよ」と言われる。だとしたらこの陥没と隆起による変型は何なんだろう。陥没部分は「血行が悪いのではないか」と訊かれたが、それってつまり皮膚壊死?(屍)>壊死だったら今頃これぐらいでは済まないだろうに、と落ち着いてからPCの前で理解する「緊急を要するものではなく、経過観察」という事になり、普通に耳に薬を入れたのでは届かない場所から粘液が出ているので、注射器で入れられる。MRSAに再々…あと幾つ「再」をつければいいのか既に解らなくなっている。感染している可能性がある旨をこちらから申し出て、検査してもらった。結果が出るのは来週になる。あんまりボンヤリとしていたので、会計に降りるつもりが上がるエレベーターに乗ってしまい、発作的に指が病棟フロアのボタンを押す。「間違えて上に行くのに乗っちゃった」と笑いながら、お世話になったナースさんにお礼を言って、「またお世話になるかも」とも言って、「いや、もう来るな」という笑顔に送り出される――わたしが去年入っていた個室には、もう誰もいないようだった。間違えて上に行くのは、退院してから何度かやった事がある。何となくしんどい体をかかえて、自宅まで戻る。お昼にパンを買うけども、カリエスかもしれないと言われたショックがかなり大きく食欲が感じられない。重たく感じる体をもてあまし、それでも本を買ってしまう…日渡早紀著《GLOBAL GARDEN》。《ぼくの地球を守って》の頃もそうだが、また次第に絵柄が変わってきているのは、CGのせいだけじゃないだろう。それでもヒカルがたまに紫苑に見えるので、不思議だ(愛蔵版の描き下ろしがあったからかな/ヒカルの肌はトーンないけど)他にもワープロの修理出し等があって、すっかり本の存在を忘れていた。わたしからしたら、それはとても珍しい事だ。鈍い頭痛と眩暈でふらつく体を休めるために、ゆっくりとページをめくる――「どうして、僕と一緒に『生きる努力をする』と言ってくれないんですか…?」母を亡くした涙花が、命の限界を感じて生きる事を諦めかけているヒカルに向けて放った言葉は、直接わたしにぐさりと刺さった。鉄剤の下から伸びる手が、震災とダブって泣いてしまう。下敷きになった人は「助けて」としか言わないと思っていた。「生きて」と言われたと思った事は、この9年間、なかった。「生きて」と言われたと思い込まなくてはやっていけないという涙花の気持ちもあるだろうが、本当は「助けて」よりも「どこまでも生きていってくれ」と言われたのではないか。「生きろ」と。たとえ手術しなくてはならなくなったとしても、わたしの命の時計はまだ動いてる。動き続ける。泣いている涙花を抱きしめながら、ヒカルが言う。夢は見ているだけじゃ駄目だと、心に決めて。「この夢はきっと、そう、きっと、実現してみせる」自分で叶えるのが夢だ、と書いたわたしは、まだこの話を読んでいなかったが…続きは書けません。ネタバレ禁止。知りたい人はコミックスを(鬼)苦しい事もそうだが、嬉しい事も、たくさんあった。ここに書けない事情があるけれど、他にも嬉しい事は秋に入ってから、たくさん訪れた。それできっと、わたしの心の堤防は、台風が来た時のようにもろもろと崩れたのかもしれない、張り詰めていた糸がぷつりと切れたように。台風の事については書かない。書けば自分“だけ”が楽になれると、解っているからだ。今夜は明日の大事な行事もあるから、早めに休もう。やりたい事はあるけれど、そこまで体力が回らない。